Irish Rally 2

36th Irish National Vintage Motorcycle Assembly 2002


    8月22日 (木)  晴れ

昨夜のうちに、「VELは駄目なので明日は俺のLEVIS(レビス)に乗れ」 とMr.Johnさんが言ってくれたので軽い気持ちで 借りておいたのですが、これがまたいろいろ有りまして明確に書けませんが、お許しを。

 今日でラリーも三日目、時間がたつのが早く一日がとても短いです。
バイクそのものを見たもは、当日の朝で、赤いタンクのきれいにレストアされたバイク(LEVIS A2 スーパースポーツ 350CC ハイコンプレッション ハイカムシャフト 1932)で, Mr.Jhonさんは、スタートが間近なのでバイクの操作と注意点(デコンブレバーを深く握るな。◎キーポイント1)を簡単に指導されて、スタートして行ってしまった。

朝食もそこそこに、バイクを掃除点検して、スタートの用意をする。さてエンジンが掛かるかキックを一回,二回,三回目でルルルルーンと調子よく回り出した。 ホテルを出て間もなくのところに、ガソリンスタンドが有り、皆さんここで燃料補給をする。こちらではセルフサービスで自分で補給しスタンドナンバーを係に伝えて料金(ユーロ建て) を支払う。

いよいよラリー本番だ。ケンメアの町中を抜けて、N71をGiengarriff(グレンガリフ)に向かう途中を左折、(コマ図に出ていない小さなT字路とか十字路には、前日にボランテア が出て矢印の標識を取り付けて万全を期している。ところがこれを子供たちが悪戯に、方向を変えている場合が有るから気を付けて下さいとゆう注意が事前に有りました。)

幹線道路から一歩入ると写真のような景色になる、途中かなりな急坂になり レビスのようなハイレシオのギヤ比だとギヤの選択 とアクセルワークが上手く行かないと、エンスト ばかりして一向に登れない、丁度後ろから来た会長の Mr.Chris O’Mahony(クリス オマーニ)さんに手伝って貰いようやく登りきれました。

初めてのバイクで要領を得ず急坂などで時間をとられて最後尾になってしまい(いつもクリスさんが最後尾を走って皆さんのホローをしている。)クリスさんに先導されて  暫く走るとパブがあり岩崎氏ほか数人が休んでいた。だが此処でまた、とんでも無いことが起きてしまった。

パブに着いたとき会長がスーと私のバイクのとこに来て、デコンブレバーを引いてエンジンを止めてくれた(後に解るがキーポイント1の無視でこれが仇となる。)が、この時、変な止まり方をした。
休む暇なくスタートとなり、エンジンをキックするが3〜4回してもかからない、そこで会長が今度はキックするが駄目、キャブの周りからガソリンが吹き出している 「どうもおかしい」と言いながら数回キックすると、その時突然キャブに火がついたバイクの周りには数人いたがみんな大慌て、会長はビックリして後ずさり、 私は、グローブをしていたのでガソリンホースに付いてる炎を握りながら消そうとしている。右隣にいた岩崎氏も必死にだ。と後ろにいたギネスビールをのんでいた2 人が、ビールをかけるなどでようやく鎮火しみんな胸をなでおろす。 ところが、これでまた私は車上の人となる。惨めみじめ・・・・・

バイクは手際よくサポート車に積み込まれ先に出発して行った。バイクの皆さんがスタートするのを見届けて前日はベンツでしたが、今日はオペルの乗用車に乗りあとを追従する。PM.1:00頃 WEST CORK HOTELに到着し、ランチは三人一緒のテーブルでいただく。 この後は、午後のコースの要所要所の写真を羅列します。
夕方の6時ころホテルに着くと先に帰っていたLEVISは直っていました。出火の原因は、デコンブレバーの引きすぎでプッシュロットがはずれてしまい 、  それを知らずにキックをしてバックフヮイヤーを起こしガソリンに火が着いたとのことです。  これで一件落着し明日もまたレビスに乗れそうです。
  
 今夜はデナーの後にホールにおいてアイリッシュ・ダンスや伝統音楽のお披露目が有りました。
    


     8月23日 (金)  晴れ

  いよいよラリーも最終日になってしまいました。今日も朝から快晴です。今日までまだ一滴の雨も降りません、雨の多い国だと聞いて完璧の雨対策をしてきましたが全然 必要なく快適なバイク三昧をしています。  8月でも最高気温がせいぜい20℃ほどで、しかも湿気が少ないのでとても過ごしやすいです。   昨日のアクシデントのレビスも直り調子も良さそうだ、今日は必ず完走しようと心にきめてさてスタートする。

  ホテルを出てKENMARE TOWNを通りN71をGLENGARRIFFE TOWNに向かう。  前日と同じパブ Blue Loo Lounge でマーフィービールを片手に一休み。   休みのあいだにスナップをとるのが急がしい、Mr.Bud Ekins(バドイーキンス)さんとともに一緒にパチリ。   (彼は、バイクの好きな皆さんはほとんどの方が知っているアメリカ映画 「大脱走」 (1963年.第2次大戦中実際に起きた事件を映画化)のステーブ・マックイーンが脱走不可能と言われたドイツ捕虜収容所を脱走しバイク (Triumph TR5?)で 有刺鉄線の柵などを乗り越えて逃げ回るシーンが有りますが、その時のスタントマンです。)

 

  グレンガリフのパブをバイクが三々五々出て行く、17〜18マイルほど走るとHEALY PASS(ヒーリー峠)の登り口Adrigole town(アドリゴレ)につく、 ここを右折いよいよHealy Passえの挑戦だ。 バイク雑誌「クラブマン12月号(’02)」 The National Irish Rallyの記事のトップを飾る写真のところをバイクで実際に走るのだ感無量である。  私たち三人は、 此処まで来てしまったのだ。手前みそだがすごい自分たちをほめて使わす?。

  写真で見るより実際は大変な上り坂である。荒涼たるけしきの中をうねりくねった道をバイクは喘ぎながら上ってゆく。登り切った頂上での眺めは素晴らしいの一語に尽きる。   皆さん、記念写真を撮ったりビールを飲んだりで忙しいです。

  峠をあとに今度は下りであるこちらは左前方に湖を見ながら直線の多い道を一気に下る。  と丁字路にぶつかるが此処にラリーのスポンサーである Murphys(マフィービール)の 看板 が付いた旧式のガソリンスタンド(クラブマンP77に掲載)がある。

 

  丁字路の左角にはパブ AN SIBINがあるが1週間前にレンタカーで来ているので寄らずに、  先を急ぐ今日はBEARA半島の海岸線(Ring of Beara)  を走り途中2回 Healy Passを通るコースで有る。

  R571をArdgroom town へ ここを右折し海岸線を走る。どこを走っても素敵、素晴らしい、空、海、陸がそれぞれにとけこんで素晴らしい景色を造りあげている。   また空気が美味しいその中を 20年代、30年代のバイクが事もなげに走り去る、この爽快さ素晴らしさをどう表現したらいいだろか?。

  ラリー最後のランチはCAMETRINGANE HOTELでいただく。どこのホテルも食事はとても美味しく量が多いデザートなども女性が喜びそうな甘いものがお皿に山盛り?で出てくる。   午後は、ホテルを出てR575をAllihies Town(アリヒース)に向かいEyeries Townを通過またCAMETRINGANE HOTELのあるCastletown-bere town(キャスルタウンーベア)にもどりアドリゴレ タウンから Healy passへ今日2回目の挑戦である。  今日は、レビスも調子よく走ってくれている。  四日間よく走った走行距離が850qを超している、他国の慣れないまた路面のあまり良くない(これは内緒ね)道を事故もなく3人ともよく走り切ったよく頑張った中でも 60半ばのじいさん2人にバンザイ2・・・

今夜は、デナーのあとにPresentation Partyがある。

  皆さんホテルに帰ってくると、四日間の思い出話か?あちらこちらで固まりが出来て握手をしたり、抱き合ったりとラリーの余韻をかみしめている様だ。   暫くすると女性群は、華やかなドレスなどに着替えてホテルのホール集まりだした。我々もスーツ(持ってきて良かった。)に着替えて会場に行く。   最終日の今日は奥様やお子様を呼び寄せての参加の方もいて総勢200人は超えている。  すごい規模のイベントである。

  デナーが始まりお国同士(参加国、スエーデン、スコットランド、アイルランド、日本、イギリス、ドイツ、アメリカ、スイスの8ヶ国)の固まりで食事、 マフイービール,お話と皆さん盛り上がっている。

  ひととおり食事も終わりいよいよプレゼンテーションセレモニーが始まる。まずはクラス毎の優勝者および2位、3位の発表がありそれぞれ優勝カップ (ガラス製品が有名なので切子 細工に似た器またわ花瓶等)や記念品が渡される。     Mr.JhonさんもBクラスで入賞したがいつの間にタイムを取っていたのか、毎度パブでマフイーを飲んでいたのに解りません。

  表彰式も最後になって突然ジャパニーズの3人の名前が呼ばれた、すると200余人の人達が総立ちになり大喝采となり、その中を、ステージに立ち特別賞と記念品を  授与され、しかもケンメア ベイ ホテルのオーナーからも特別に参加賞を戴く。  岩崎氏が代表してお礼の挨拶したがこれがまた場慣れした笑いも取る立派(英語が解らなくても  雰囲気で解る)な挨拶でした。  席に帰るまで大拍手やテーブルたたきが鳴りやまず,  大感激アイリッシュラリーに参加して良かった出来て良かったとつくづく思いました。  ラリーに参加の皆さんスタッフの皆さん本当に有り難う、素晴らしい思い出を沢山に有り難う。

 


     8月24日 (土)  晴れ

昨夜のうちにMr.Johnさんから、明日は4人で最後のツーリングに行こうと言う話が持ち込まれた。 朝食を済ませて、ツーリングの用意をして庭に出ると皆さんは帰る支度をしている。 バイクの荷台に大きな荷物を積んだり、背負ったり、車にバイクを積み込んだり、トレーラーに積んだりと支度が大変です。

私たちは、これからHealy pass方面え出発です。ホテルを出てすぐのスタンドでガソリンを入れてさてとゆうときMr.Yoshimiのサンビームがおかしい、キックしても 押しがけでもいつこうにエンジンがかからないここで吉見氏はリタイヤ。

3人で行くことにしてスタート、ケンメアの町を抜けていつもの橋を渡りすぐ右折、 Mr.John(ダグラス 350)さんを先頭に、岩崎氏(サンビームLS)、 私(レビス 350)と続く、R571、R575でLauragh TawnえここからHealy Passにいつもと逆のルートで登る。   登りは、ほとんど直線コースで一気に頂上え、下りはあの蛇行した道を慎重に降りる。この逆の景色もとても素晴らしい。   峠を下りたところで、Mr.John氏と岩崎氏がバイクを取り替えて乗る。ここからグレンガリフまでのコースを十分堪能して走る。

グレンガリフのBlue Loo Lounge の前で、Mr.Johnさんが、Mr.Sakaeが今度はダグラスに乗れと言う、私はレバーコントロールのバイクには乗ったことが無いので駄目だと 断ると何で俺のバイクに乗れないのだとMr.Johnさんは怒る。しかもこのバイクは、クラッチが無い、フロントブレーキが無い、リヤブレーキは Vプーリーの溝にゴムを押しつけるような頼りないブレーキ、キックも無い、しかも右ハンドルに、エアーコントロールレバーとガソリンコントロールレバーが各一本、 それにガソリンタンクの上にハンドチェンジ(3速)がある。 これでどうやって乗れと言うのか、2〜3回悶着が有ったが仕方なしに乗ることにる。

まずエンジンの始動である、キック始動が無いので通常はパタリングと言ってバイクにまたがりギヤをローに入れて、デコンブレバーを握り圧縮を抜いておき足で2〜3歩 パタパタと後ろに蹴り(歩く)レバーを離すと エンジンがかかる。エンジンの掛かりはすこぶる良い。そのままバイクは走り出すが今度はすぐにセカンドにギヤチェンジを 足ではなく手でやるがクラッチが無いので変わりに デコンブレバーを使う。これはデコンブで一瞬エンジンの圧縮を抜きギヤチェンジをしたり発進または停止をする。 この時右手はエアーとガソリンレバーを コントロールしながらギヤチェンジをしなくてはと忙しい。

3〜4回エンストしたが何故か乗れるようになり調子が出てくると、これが 快適 になるからから不思議である。アッとゆうまに30qを走りケンメアの町に着いてしまった。 町の中はこのバイクでは初めてなので危ないと思い押して歩いていると、壊れたオンボロバイク(これは失礼)を東洋人が押しているとゆう目で見て通行人が 笑っている。そう言えばこちらに来て11日になるが、我々以外東洋人を一人も見ない。関係ないっか…

ホテルに帰ってくるとかなりの人が帰ってしまっていた。我々も今日はここを出て、B&Bでも探さなくてはと思っていると、Mr.JohnさんがいいB&Bがあるから とゆうのでそこに決める。 さて、帰りの支度をしなくては、来たときの要領でバイク3台をトレーラーに積み込む。Mr.Johnは自分のバイク2台を車に積んでいる、この車でトレーラーを引っ張って もらう。いよいよKENMARE BAY HOTELともお別れである。我々は、残っていた方々に挨拶して、レンタカーでトレーラーの後を追う。   

行き先は、CORK市内のMr.Paddyさん宅である。トレラーから再び来たときの、カーゴにバイクを載せ替え梱包して、後日、日本へ船便で送り返していただく手続き を、お願いしてMr.Paddy宅を後にする。今夜はN8沿いにあるB&Bに泊まる。

 


     8月25日 (日)  晴れ

今日は、B&Bから40マイルほど北にあるTipperary(テップラリー) Cityにお住まいのMr.John宅に、午後お伺いすることになっている。朝食(スクランブルエッグの大きいじゃなくて でっかいのなんの)を取り、9時ころ出発N8を北に向いお城がある観光地のCashel Cityに到着する。ここのお城は、Cashel(城)とChurch(教会)の同居?している珍しい城である。

午後2時ころMr.Johnさんの自宅に出向くと奥様お手製のパンとケーキで歓待を受ける。そしてジョンさんのガレージ訪問となる。母屋の裏に5〜6坪の工作所があり、自分で 改造した旋盤やボール盤等、またアイデア満載の工具類、これからレストアするバイクなどぎっしり詰まっている。 全てを、自ら制作、改造しメッキまでしてしまうとのこと、驚異であり、尊敬してしまう。我々も負けていられない。

ここから70q先にあるLIMERICK(リムリック)のヴィンセントさんに修理をお願いしてある2個(私のと吉見用)のマグネットを取りにジョンさんの車で出かける。1時間ほどで到着する。 ヴィンセントさんは、アイルランドで唯一のマグネットの修理をしている方で、皆さんがここえ持ち込むらしい。ここもまたフライス、旋盤、ラジアルボール盤、そして アマチュアのコイルの巻き線機等々設備が整っている。

修理の出来たマグネットを戴き、支払いを済ませてトンボ帰りで、ジョンさん宅へ、

延べ15日間も、現地では大変お世話に成ったMr.Johnさんともここで最後のお別れです。握手と長い抱擁で胸に迫るものを感じ涙が溢れるのを押さえながらサンキュウ、 ありがとうを繰り返しながらお別れをして、ジョンさん宅を後にする。 いま、これ書いていてもあの情景を思い出し、涙が込み上げてきて パソコンの画面がよく見えない。

今夜は、コーク航空ホテル(25日から三日間リザーブ)まで、帰らなくてはならない。



     8月26日 (月)  晴れ

    

今日は、9時半ころホテルを出てMr.Paddyさん宅へお礼の挨拶に出向く、コーク市内の閑静なところに自宅を構え、その右隣にあるガレージの扉を開けるとビックリ   中に鎮座するのは1920年代から30年代かけてのロールスロイスである。このほかに同じようなのが名前は解らないが2台ある。(聞いたが覚えていない)

 

これら全てが自走するのだ乗れるのだ。実に素晴らしいきれいに仕上がっている。残念だが、3人ともこれらの写真を撮っていない。最初に逢った日にバイクと思っていたのが  こんな凄いものを見せられて、舞い上がってしまい写真を撮るのを完全に忘れていて、バイクの写真もない。バイクも、ブラフシュウペリア、インデアンのサイドカー、ラッジ  等7〜8台ある。ロールスロイスは、ラリーの始まる2〜3日前に四輪のイヴェントがあって、走ってきたと言ってました。

 

岩崎氏が我々のバイクの日本への船便の手配等の打ち合わせして、Mr.Paddyさんともお別れとなる。Paddyさんが近くに素晴らしいところが、いっぱい有るから  観光でもして行きなさいと数ヶ所候補地をあげてくれたので行くことにきめた。

   

その一つがOLD HEADと言う勝景地でコーク市よりR600を南下しKinsale(キンセール)TownをすぎてR604でOLD HEADへ到着。

素晴らしい景色である。半島の付け根に城門の名残があり、その奥には入れない。名は体を表すとゆうが、オールドヘッドとは、よく言ったものだ。 大木が一本もない、つるつる頭の半島である。日本では、危険ということですぐに、杭を打ち柵をしてしまうが、ここではいっさい人工の手は入っていません。


いよいよ明日が最後のアイルランドである。


8月27日 (日) 晴れ

いよいよ最後の日が、来てしまった。今日は、少々観光をしてあとはおみやげとか帰りの支度をしなければ成らない。 吉見氏が風邪をひいてしまい調子が悪い昨夜も夕食をとらずに寝てしまった。 今朝は、どうにか起きられたので、昨日と同じKINSALE TOWNを通って、CLONAKILTY TOWN方面に足を伸ばす。

帰りに、kinsale 市内で、三人別々におみやげを買いに出かける。ひととおり買い物を済ませて帰路につく。 観光のドライブも今日で終わりです。

今回 訪問したアイルランドでも南西部の KERRY(ケリー)およびCORK(コーク)は 半島の多い地方で、海岸線を走る機会がとっても多く素晴らしい景色を 満喫してきました。

また山岳地帯に入ると 放牧が盛んで牛や羊がのんびりと牧草食べている風景などとても素敵なところです。道路の通行帯も日本とおなじで車は左側で、路面は あまり良くないですが走りやすいです。

つたない文章の我がホームページをお読みいただいた皆様には、是非機会を作ってアイルランドへ出かけて見てはいかがでしょうか?。

今回の、ラリーの参加につきまして大変お世話に成りました、岩崎氏及び吉見氏にはここをお借りしましてお礼を申しあげます。有り難うございました。 また、大会にご参加の皆々様及びスタッフの方々、特にMr. Paddy Guerin  Mr. Joho Quirke &  Mr. Chris Armour には大変お世話に成りました。またの機会を楽しみにしております。本当に有り難うございました。  Thank you very much,

ちがった時の中で味わった素晴らしい出会い、経験そして思い出を心に刻み、人生の次の挑戦に向かって進んでゆこうと思うこのごろです。

P.S.
今年 ('03)の3月に今回のアイリッシュ・ラリーえの出場の切っ掛けに成ったバイク雑誌『クラブマン』にアイリッシュ.ラリーの記事を投稿したイギリスのバイク雑誌の前編集長 Mr.Phillip Tooth(フイリップス・トース)氏が 我が家へ取材のためにお見えになりました。オーストラリアの帰りに、日本に立ち寄り岩崎氏の案内で、日本の旧車の実情を視察しに来たとのこと、 数人の旧車マニア を取材して、帰国致しました。